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講談師 旭堂さくら(川本三栄子)が
様々な人物の心情の機微も自在に演じて語ります。

プロフィール

1998年 日本コロムビアより歌手デビュー。その後数々のヒット曲をリリース(別紙参照)
2007年 オリジナル浪曲「長崎の鐘」で浪曲師デビュー
2008年 講談師旭堂南左衛門師入門
2010年 講談師デビュー

古典の他に各地に伝わる歴史や物語をわかりやすいオリジナル講談で伝える活動は、好評をよんでいる。
長年の活動に裏付けられる実力と、七色の声を使い分け、様々な人物の心情の機微も自在に演じる語りの魅力は、
これからの講談界において決して欠かせない存在になると感じさせる。
歌・浪曲・講談の他に講演活動などマルチタレントとして活躍中。

主な読み物

古典の他に数々のオリジナル講談を制作して語ります。

  • ○三方ヶ原の戦い
  • ○光明皇后・千人の垢流し(オリジナル)
  • ○かぐや姫伝説(オリジナル)
  • ○中将姫物語(オリジナル)
  • ○古事記より「真説桃太郎伝説」(オリジナル)
  • ○古事記より「履中天皇・大坂越え」(オリジナル)
  • ○お俊・伝兵衛(オリジナル)
  • ○神武天皇物語(オリジナル)
  • ○聖徳太子と雪丸物語(オリジナル)
  • ○太閤の風流
  • ○水戸黄門漫遊記から「牛盗人」
  • ○孝行の妙薬
  • ○赤垣源蔵の婿入り
  • ○親鸞聖人の妻・恵信尼様(オリジナル)
  • ○弘法大師伝~高野の里に咲く~(オリジナル)
  • ○謡曲「三ッ山」より大原の月(オリジナル)
  • ○若き日の親鸞聖人(オリジナル)
  • ○日蓮上人まな板岩のご難
  • ○太閤記の中から「臆病の一番槍」
  • ○難波戦記から「般若寺の焼き討ち」

旭堂さくらオリジナル奈良講談

・・・これは、奈良のPR活動を永年にわたりしてきた歌手・講談師の川本三栄子が伝統話芸である講談で奈良の歴史を広め、一人でも多くの方に奈良を知ってもらうとともに、素晴らしい奈良の活性化、郷土愛につながり、これからの奈良の観光誘致の助成となればという思いで立ち上げたオリジナル講談の数々である。

「光明皇后・千人の垢流し」・・・奈良市ゆかり

聖武天皇と共に天平の時代を生き抜いた女性「光明皇后」は、仏教を深く篤信し、東大寺の大仏建立を進言、総國分尼寺「法華寺」を創建。また、施薬院・非田院を造営して窮民を救うなど今の福祉の礎を築いた人物である。本作は、光明皇后1250年大遠忌を記念して、今もなお語り継がれている光明皇后の慈悲の心を描いた新作講談である。

「かぐや姫伝説」・・・広陵町ゆかり

日本最古の物語である「竹取物語」。藤原京に都があった頃、四国讃岐から大和朝廷に仕えるために移ってきた讃岐の造が、竹やぶで光り輝く竹の中からかぐや姫を見つけ育てるお話。美しく成長したかぐや姫が、5人の貴族や帝の求婚をしりぞけ月に帰るという壮大なストーリー。この舞台とされるのが、大和国広瀬郡散吉(現広陵町三吉)。また、かぐや姫に求婚した5人の貴族は、いずれも壬申の乱で天武天皇・持統天皇につかえた人物であるとされている。

「中将姫物語」・・・奈良市・宇陀市・当麻町ゆかり

中将姫(天平19年8月18日~宝亀6年3月14日)は、藤原鎌足の曾孫藤原豊成の娘として生まれたが、幼い頃母を亡くし、継母に育てられる。しかしあまりの美貌と才能に継母の虐待を受け、ついに宇陀雲雀山に捨てられるが、少しも憎まずただひたすら仏の道を精進し、17歳で当麻寺に入門。仏行に励んだ徳により仏の助けを得て一夜のうちに蓮糸で曼荼羅を織った話は有名である。奈良時代に生まれ、生き29歳という若さで西方浄土に召された中将姫の悲話である。

古事記より・吉備津彦尊と温羅の戦い「真説桃太郎伝説」・・・田原本町ゆかり

江戸時代から語り継がれている昔話「桃太郎」は、紀元前3世紀頃7代孝霊天皇の皇子「吉備津彦尊」がモデルと言われている。吉備津彦尊は、犬飼部・鳥飼部・猿飼部とともに西国平定のため吉備(岡山)に行き、当時百済より渡来し、人々を苦しめていた百済の王子温羅一族を退治し吉備の国を支配し、今も岡山の吉備津彦神社に祀られている。命を助けられた温羅は、日本に鉄の技術を伝えたと言われいる。人々を苦しめた温羅をうった吉備津彦尊をたたえ後に「桃太郎伝説」として今に伝わっている。

古事記より「履中天皇・大坂越え」(屯鶴峯ものがたり) ・・・葛城地方ゆかり

仁徳天皇の第一皇子17代履中天皇には、婚約者である葛城氏の娘黒姫がいたが、弟住吉仲皇子が、兄になりすまし黒姫と通じ謀反を企て、宮に火を放つ。履中天皇は、難波宮から石上神社へ逃げる道中、埴生坂で不思議な娘に出会い、そこで伏兵がいるので、遠廻りして当麻道を行くように言われる。その時読んだうたが、古事記に残されている。
「大坂に逢うや乙女を道問えば 直にはのらず 当麻道をのる」その少女は、鶴となって屯鶴峯の白い峯を飛んでいったという。

文楽堀川より「お俊・伝兵衛」・・・大淀町ゆかり

文楽「近頃河原達引」でお馴染みの話「お俊・伝兵衛」の新作講談。遊女お俊と井筒屋の一人息子伝兵衛は、相思相愛の中である。しかし、横恋慕から丹波の侍横淵官左衛門は、伝兵衛を亡き者にしょうと企んだが、逆に殺されてしまう。侍を切った伝兵衛は、追われの身となり、自殺を覚悟で今生の別れにお俊のいる堀川の家を尋ねる。お俊は、一人で死なずに自分も道連れにしてほしいと頼むが、それを聞いた兄の与次郎が、二人の愛の深さに心を打たれ、故郷大淀町桧垣本に落ち延びて、末永く幸せに暮らすようにと逃がすのである。

古事記より神武天皇二千六百年記念 「神武天皇物語」・・・橿原市ゆかり

カムヤマトイワレヒコの尊、後の神武天皇は、日本の平定の為日向の高千穂から大和に向かうが、途中大和を目前に土地神ナガスネヒコに討たれ、「日の御子なのに、太陽に向かって戦ったのが、良くなかった」と兄五瀬尊の言葉に熊野から大和へ入る道を選んだ。太陽を背にしたことで、天照大神の助けを得たイワレヒコは、八咫烏の道案内で険しい熊野の山道を大和に向かうことができ、ついに畝傍山の麓に橿原の宮を建て、初代天皇として、即位され日本の建国を果たしたのである。
古事記より、遙か昔高千穂から苦難を乗り越え、平和の国、日本の礎を築くため東征をはたされた神武天皇物語の思いを今に伝える新作オリジナル講談である。

「聖徳太子と雪丸物語」・・・王寺町はじめ県下にゆかり

三十三代推古天皇の摂政をつとめていた聖徳太子は、仏教を広めた方である。ある日斑鳩の宮に一匹の白い犬が迷い込んだ。太子は、その犬に雪丸と名付ける。ある日、太子は、雪丸をつれて達磨太子の塚に行きお経を唱えた。それから雪丸は、太子に喜んでもらおうを毎日達磨大師の塚の掃除に通い始める。それを見ていた村人たちは、雪丸の姿に微笑ましく声を掛けるようになる。太子はその姿をみて、人々が平和で笑顔で暮らせるようにと十七条の憲法をお作りになった。「和を持って尊しとなす」時代をこえて今に伝える聖徳太子と雪丸の心通う講談である。

講談履歴

2010年 光明皇后1250年大遠忌法要記念奉納講談「光明皇后千人の垢流し」
2010年 かぐや姫まつりでオリジナル講談「かぐや姫物語」を公演
2010年 桜井市男女共同参画講演会
2010年 全国緑化フェアー会場で「奈良講談」
2010年 奈良町落語フェスティバル 松前寄席
2011年 奈良県芸術祭参加 第1回目「まほろば講談会&ワークショップ」開催
2012年 学校出前講談&体験学習
2012年 全国桃太郎サミットIN奈良でオリジナル講談「桃太郎伝説」を公演
2012年 奈良県芸術祭参加 第2回目「まほろば講談会&ワークショップ」開催
2012年 葛城周辺地区イベント「記紀と葛城」記念講演会 オリジナル講談「履中天皇物語・大坂越え」
2013年 奈良国立博物館 当麻曼荼羅1250年記念 「講談で知る中将姫物語」開催
2013年 横大路1400年記念 旅籠の集いでオリジナル講談「履中天皇物語・大坂越え」公演
2013年 大淀町文化会館小ホールこけら落とし公演 オリジナル講談「お俊・伝兵衛」
2013年 奈良県芸術祭参加 第3回件で知る記紀万葉の世界「まほろば講談会」開催
2013年 「文化庁次世代を担う子どもの文化芸術事業」法隆寺国際高校
2014年 西本願寺聞法会館「恵信尼様と平和の集い」でオリジナル講談「親鸞聖人の妻恵信尼様」を公演
2014年 奈良県芸術祭参加 第3回講談で知る記紀万葉の世界「まほろば講談会」で神武天皇物語」公演
2014年 東京まほろば館 古事記千三百年記念オリジナル講談「神武天皇物語~遥かなる道~」を公演